こんな国じゃなかったはず

現在の日本

テストの点数を取るためだけの勉強では、世の中通用しなくなってきている。
官僚から大手企業に至るまで、優秀で社会を担ってきたはずの人たちによる不正や犯罪が頻繁に報道されるようになった中、将来を担う子供たちにまた一つの問題が浮き彫りになりました。
平成19年度に文部科学省が行った「児童生徒の問題行動調査」によると、暴力行為が過去最高だったことが分かりました。増加した理由の分析として、「自分の感情をコントロールできない」、「規範意識の低下」、「コミュニケーション能力の不足」を挙げています。
日本はこんな国じゃなかったはず・・・

戦国時代に来た外国人 〈フランシスコ・ザビエル〉

「ヨーロッパの子供は青年になっても口上ひとつ伝えることができない。日本の子供は10歳でも、それを伝える判断と思慮において、50歳にも見うけられる。」 「我々の間では4歳の子供でも、自分の手を使って食べることを知らない。日本の子供は3歳で箸を使って自分で食べる。」 「我々の子供は、立居振舞に落着きが無く、優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞讃に値する。」 これは、1563年に来日し、織田信長にも寵愛されたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの言葉です。現在の子供とはだいぶ様子が違いますね。 「この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心が強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人々は貧しいのですが、武士もそうでない人々も、貧しいことを不名誉と思っていません。」 この言葉は、1549年に日本を訪れた、あのフランシスコ・ザビエルが述べた言葉です。

日本に来た外国人 〈シュリーマン〉

「役人たちが欲得ずくでこのげんなりするまでの警備に励んでいるのではないことは承知している。だからなおさらのこと、その精勤ぶりに驚かされるのだ。彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである。」と感心したのは1865年に来日した、「トロイアの遺跡」のシュリーマンです。

江戸時代に来た外国人 〈シーボルト〉

また、江戸末期1823年にオランダ商館医として赴任したシーボルトは、「日本は美しい庭園」と賞讃しています。「そこの人の手で仕立てられたかに見える自然は彼らの活動性と勤勉を示すものだ。」と言い、「農民の驚嘆すべき勤勉努力」も称えています。「植物栽培は日本の方が遥かに進歩していると認めざるを得ない。」と言い、「技術・忍耐・勤勉」の日本人に接し、「かなり文化水準が高い」と認識していたといいます。   日本に来た外国人は一様に「一般庶民でも字の読み書きができる」ことに驚いています。日本は、明治になり短期間に近代化を成し遂げましたが、日本人が急に優秀になった訳ではありません。江戸時代には全国に約1万4千の寺子屋がありました。平均すると1県に300軒にもなります。現在の小学校の数は約2万3千校ですが、当時の人口が約3千万人程度ですので、いかに寺子屋が普及し、教育が行き届いていたかがわかります。明治維新前にすでに「かなり文化水準の高い」日本人が存在していたのです。 テストの点を取るのが目的ではなく、貧困からの脱出が目的でもない、「民度が高く、高潔な人づくり」ができていたことを外国人が証言してくれていることこそ、教育の目的を証明していると言えます。 私たち大人が外国から評価された歴史の中身を再認識することが、子供たちの未来を明るく変えてゆくのではないでしょうか。