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メッセージ

なぜ、勉強しなければならないのか?勉強なんていらない?
水に浮けない水鳥にはなりたくない!!

白鳥などの水鳥は、卵からかえってすぐに親や仲間の水鳥たちから離して育てると、水に浮くことのできない水鳥に育ってしまいます。 水鳥は、子どものうちに親や仲間の鳥たちが行う「毛づくろい」を見て育ちます。この「毛づくろい」は、毛の付け根から出る油を羽根に塗り、水に浮くための作業なのです。子どもの時に「毛づくろい」という学習をしないで育つと、もう二度と水には浮けない水鳥になってしまうのです。大人になってからいくら「毛づくろい」を見ても覚えないのです。 人間では実験できませんので証明されていませんが、水鳥の脳を調べると、成長期の初め頃、脳が覚える時期の「刷り込み期」と成長する途中で使われなかった脳が働かなくなる「刈り込み期」のあることが解っています。もし、人間の脳もこのような仕組みがあるとすると怖いですね。人間は、3歳位で生きるために必要なことの70%を学習すると言われています。また、昔から「三つ子の魂百までも」といいますから、水鳥と近い脳の働きがあるかもしれません。水に浮かない水鳥と同じには、なりたくありませんね。

日本の発展は教育の力①

日本は、慶応3年(1867年)江戸幕府15代将軍徳川慶喜の大政奉還により鎖国していた江戸時代が終わり、明治の近代化が始まりました。そして、開国にともない欧米の進んだ科学や技術を吸収するべく教育に力を入れました。明治5年(1872年)学制が発布、明治12年(1879年)教育令公布、明治19年(1886年)小学校令が公布され尋常小学校を卒業するまでが義務教育となりました。明治23年(1890年)第二次小学校令を公布し地方に学校設置義務を課しました。 当時、欧米列強によるアジア諸国の植民地化が進んでいましたので、日本は清国のように欧米の植民地にされないためにも国力を高めなければならない状況にあり、富国強兵を目指したので教育は「国家主義的」なものでした。 その後明治38年(1905年)日露戦争に勝利し、第一次世界大戦後、大正9年(1920年)に設立された国際連盟に常任理事国として参加するまでになりました。大政奉還から僅か53年という速さで世界の列強の一つに数えられるようになったのです。このような速さで近代化を成し遂げた背景には、明治政府による「国家主義的な教育」であったにしろ「男女等しく学ばせる国民教育の建設」と「専門教育のため明治10年(1877年)東京大学を設立し、師範教育・女子教育・産業教育についてはそれぞれ専門の学校を設け学術の発達をはかった」ことが大きな要素として挙げられます。

日本の発展は教育の力②

更に、もう一つ大きな要素は、日本人の「識字率の高さ」と「鎌倉時代から始まる寺子屋などの庶民教育の普及」がその根底にあります。富裕層を中心にした「大学教育」は、ヨーロッパの方が早かったのですが、庶民の子供教育は日本の方が早かったのです。戦国時代に来たフランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスは、日本人の普通の人々が読み書きできることを非常に驚いていました。江戸時代、ヨーロッパの識字率は約20%に対し、日本は約50%でした。今では、文字を読んだり書いたりできることは当り前のように感じることでしょう。しかし、現代でも識字率の低い国がたくさんあるのです。     発展途上国の現状 現在の発展途上国の多くでは、世界から経済援助を受け国を発展させようとしても、支配者層を中心とする一部の富裕層が潤うだけで、国民の暮らしは楽にならず暴動や内戦にまで至っています。これらの国々は、学校に行けない子供たちが多く存在する地域です。中東のある国で、自爆テロに志願し自ら命を絶った子供を持つお母さんが言っていました。「開かれた教育を受けることができないからだ。」と。

50年後の日本

50年という期間を考えてみましょう。先にも述べましたが、大政奉還からわずか53年で国際連盟の常任理事国として参加した日本ですが、現在私たちの日本はどうでしょうか。1990年の株価暴落に始まるいわゆる「バブル崩壊」から既に21年経ったわけです。当時生まれた子は21歳になります。2年後は大学を卒業しています。あと29年で50歳です。バブル崩壊から50年後、経済を安定させ世界から信頼される日本を築ける人材は育っているでしょうか? また、偏差値重視の詰め込み教育と言われた1970年代までの教育から「ゆとり教育」へ舵を切り、「ゆとりの時間」が始まったのが1980年度です。新学力観教育として教育指導要領の全面改訂が行われ施行されたのが1992年度からになります。この年から第二土曜が休みになりました。 そして、2002年度≪学校完全週5日制≫になり、≪総合的な学習の時間≫と≪絶対評価≫が導入され、実質的≪なゆとり教育≫の実施となります。≪ゆとり教育≫の完全実施から僅か10年しか経っていないのにOECDによるPISAテストでの成績は明らかに下がりました。 こう考えますと教育がいかに重要かが解るかと思います。 しかし、英語や数学ができることだけが大切なのではありません。勉強は単なる知識の詰込みでもありません。特に義務教育においては、人格形成を目的に掲げ(残念ながら人格形成の教科はありませんが)論理的思考力の訓練であり、全体認識力を高める訓練でもあります。 残念ながら、今の日本には教育の目的も国家の目標も明確ではありません。 明治維新の当時は、周辺のアジア諸国のように欧米から植民地化されないためにも、≪産業・技術の育成をし、富国強兵と新しい国家建設≫をしなければならないという大きな目標がありました。 その後、太平洋戦争の敗戦でアメリカの意図による日本国家建設が行われました。そして、高度経済成長期を経て、バブル経済形成、崩壊、ついに今に至るまでデフレは解消されず、国家は財政赤字、庶民は不況のままグローバル社会に翻弄され続けています。 2011・3・11東日本大震災という未曾有の災害の中、忍耐強さや道徳心の高さなどに対する世界からの賞賛の声もいただきました。 これからの子どもたちには、世界からより一層信用・信頼される日本人として成長することが必要ではないでしょうか。世界・日本、そして我が子たちの50年後のために。

塾で15年間子どもたちを見続けて

学校の先生に一つだけ絶対に負けないこと 当塾は、今年10月まで年長さん(6才児)から高校生までを対象とした教室でした。したがって、長い生徒で10年以上見続けている生徒が何人もいることです。 現在は、「ヨコミネ式」の学道クラブで3才児から見ています。 基本的に学校の先生では、制度上できないことです。学校は、毎日朝から夕方まで生徒と触れ合いますが、塾は週に1度か2度しか通ってきません。しかし、当塾は同じ子を6才から10年以上の成長を見続けることができました。学校の先生は長くても3年といったところです。小学校では、同じ学校に6・7年にいらっしゃる先生もいますが、6年間同じクラスの担任をされる先生はいません。 現在、当塾は3才児から大学受験までの子供たちが通ってきますので、長い子は15年間になります。だからこそ成長を確信できるのです。 子どもたちが成長するヒント 小学校2・3年生の頃はとても心配だった子が、進学校の高校に合格するまでに育つことは稀ではありません。ただし、共通している点があります。それは、親が甘やかしていなかった、ということです。ガリ勉をさせた訳ではありません。特に欲しがる物をなんでも与えていなかったこと、送り迎えをせずに自分で歩かせていた、という2点が特徴的です。 幼児教育の必要性 上記『外国人が驚いた昔の日本』でも述べましたが、戦国時代、フランシスコ・ザビエルに始まる西欧から来日した外国人の日本人観から考えると、≪幼児教育≫が今こそ必要ではないでしょうか。 幼児教育または、早期教育に対する様々な批判があります。≪幼児教育≫の肯定論にしろ否定論にしろ見落としている点が二つあります。   一つ目は、豊かで便利な時代になりすぎ、本来幼児期から訓練されていたものが知らず知らずに失われていること。 動物は本来少しでも早く一人前になるように出来ています。特に鹿や馬などは生まれたらすぐに立ち上がるように出来ています。なぜなら、肉食動物から狙われたら逃げる必要があるからだそうです。約200万年前、ホモ・サピエンスの誕生から人類が進化し、現在に至るまでの歴史の中で、文明的な生活を営むきっかけになる農耕が始まった時代から1万年もたっていません。つまり人類は、199万年は狩猟採取で生きてきたわけです。途方も無く永い間、大自然の中で死と隣り合わせの生活を営んできたといえるでしょう。そんな過酷な環境では、必然的に生きる力をより早く身に付けなければ生き残れなかったことでしょう。 さて、ヨーロッパにおいて、児童福祉的観点や公教育などの近代教育が始まったのは、産業革命期からです。まだ300年も経っていません。、 何を言いたいのかというと、「生物の遺伝子進化からみて、子供達の成長過程は、まだ狩猟採取時代の仕組みが優勢に働いているのではないか」と言うことです。 人類の長い歴史から見たらものすごく短期間で近代化しました。   小さい頃から何でも与えられ、車で送り迎えが当たり前、そんな豊かで便利な時代に育つ現代の子供達は、本来幼児期に訓練されなければならないものが知らず知らずに失われているのではないでしょうか。 ルソーの言葉に「子供を確実にダメにする方法は、なんでも与えることである。」とあります。 この言葉は、豊かな時代ではなかったにもかかわらず、豊かなこの時代を見透かしたかのように大変示唆に富んでいると思いませんか。 産業革命以前のヨーロッパにおける≪子ども教育≫で象徴的に言われるのは、「学校に行くことは、ムチに打たれに行くこと」だったそうです。かたや日本はというと、ザビエルと同じ時期にルイス・フロイスも来日しています。彼の『日欧文化比較』のなかでは「我々の間では、普通ムチで打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多に行われない。子を育てるに当たって決して懲罰を加えず、言葉を以て戒め、6、7才小児に対しても70才の人に対するように、真面目に話して譴責する。」と記しています。日本での【寺子屋教育】の始まりは、鎌倉時代ともいわれますが、戦国時代、ザビエルが九州に上陸して驚いたことの一つに「一般庶民が文字の読み書きができること」だったそうです。 また、明治初期の識字率は世界最高水準でした。1850年頃(江戸末期)の就学率においては、イギリスの主な工業都市で20~25%なのに対し、70~86%といわれ、外国に比べ就学率も高かったようです。ちなみに、【寺子屋】では、5~6才から学んでいたようです。 このように日本には≪子ども教育≫の参考になる貴重な財産があります。長い歴史で培われた先人の知恵です。今こそ見直す必要があると思います。   現代の子供たちは、どこで問題解決力や生きる力を養うのでしょうか?生物学的に人間は、6才で一人でも生きて行けるそうです。しかし、現代っ子には無理でしょう。発展途上国の子なら可能かもしれませんね。 つまり、不便さの中でこそ思考が働き、様々な体験を積むことができるのではないでしょうか?今更昔に戻すことはできません。戦後の豊かさの中で失われた「6才くらいまでに無意識に学習(訓練)してきた要素」に代わる体系だてられた学習(訓練)を補うことが必要ではないでしょうか。   二つ目は、外国の方法を取り入れる際に、習慣や文化の違いを考慮せずそのまま取り入れてしまうことです。 日本人はとかく印象の良い言葉や方法には、社会的、集団的に深く考えずになびく性質があるようです。海外の自由で個性豊かな教育を実現しているところは、その土台に宗教の存在を無視できないでしょう。特に、授業を成立させる根本的要素の「先生の話はしっかり聞く」という最も基本的なことは、日曜日に教会に行く「日曜礼拝」などで小さい時から大人の中で訓練されています。そして、道徳の基準を学んでいます。目には見えませんが【神】という畏怖する存在を心に内包します。しかし、日本は、【座学】の基礎≪家庭での日本的習慣=正座して食事をする、姿勢を正し親の話を聞くなど≫さえ無くなっています。先生は子どもたちに≪丁寧語≫、子どもたちは先生に対し≪友だち言葉≫、≪集団行動の規律やけじめ≫を指導する厳しさも無くなり、大人を舐めているような子が増えています。 「個性」結構、「自由」結構、しかし、集団生活の中での「礼儀」や「規範意識」は、最低限必要な要素ではないでしょうか。   3才の子たちを見ていると、教室という集団での言動についての善し悪しを分かっています。しかし、往々にして自分の感情を抑えきれず、わがままな行動をします。それを許していると「これくらいまでなら通用する」と感じ取ってしまいます。「子供だから」とわがままを見逃していると、その子には無意識にわがままな習慣が付いてしまいます。昔の人は言いました。「三つ子の魂百までも」と。「人は環境で育つ」とも言われます。就学前の大事な時期の環境を設定してあげることが必要ではないでしょうか。

全国学力テスト・学習状況調査から分かった学力アップの秘密

「全国学力テスト」が事業仕訳でも話題になりました。その「全国学力テスト」では、「秋田県が全国1位だった」という事がよく知られています。 このテストで同時に「学習状況調査」というアンケートが行われている事は、あまり知られていません。アンケートの内容は多岐にわたり、「毎日決まった時間におきますか?」「読書はしますか?」「携帯電話を持っていますか?」「決まりを守ることは大切だと思いますか?」「地域の行事に積極的に参加しますか?」など、約80問弱の質問に対し、「あてはまる」~「あてはまらない」まで4段階で解答するようになっています。その回答結果と各人の点数との相関関係が分析されているのです。 その結果、正義感や規範意識などが高い生徒が、成績上位に多いという事が分かっています。つまり、一般的に、「けじめや規律、規範意識、思いやり、協調性、生活習慣」などをきちんと訓練することが学力向上には根本課題であると言えるでしょう。 この詳しい分析結果は、国立教育政策研究所のホームページで公開されています。文部科学省のホームページからもアクセスできます。